26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

理想と現実の乖離に苛まれる

自己評価が著しく低い人間がいる。

これまでの人生で人から何か褒められても行き過ぎた謙遜をする人間。あるいは人から褒められた経験が少ない人間。

逆に自己評価が高い、というと語弊があるかもしれないが、自らをその実力通り正当に評価している人間は、ある程度人から褒められたりだとか、何かしらの賞、記録などを持っている人が多い。

 

すなわち自己評価とは他者からの評価によって決定されるものであると私は考える。

 

そして筆者は「自己評価が著しく低い人間」に属している生命体なのである。

 

 

巷で出回っているアドラー心理学とかいう自己啓発の類が心底嫌いである。

彼の説教を端的に言うとこうだ。

「他人の評価など気にするな。常に自分と向き合って自己を高めていけ。」

なんとももっともらしい事を教えられているように聞こえる。一部の馬鹿なスタバでMacをドヤ顔で開く人間はこの言葉を鵜呑みにするのであろう(偏見)

よく考えてみてほしい。

人間が常に自分の評価によって人生をコントロールできるのであれば、全ての人間が自らが理想とする人生を歩めるに違いない。大金持ちになりたいと願う人間なら今頃石油王であり、一流のサッカー選手になりたいならばロナウドあるいはメッシになっており、最高の美しさを手に入れたいならミスユニバース待った無しだ。

 

だが現実はどうだ。

人間には個性というものがある。残念ながらこの個性は誰にとっても良い方向へ働いてくれるものではない。

 

就職活動を例にとって考えてみよう。

就活において学生は、自らが志望する会社、俗に言う「御社」に評価してもらおうと思った際、しばしば自らの個性や性格を捻じ曲げる。

例えば採用活動の一環で行われる性格検査では、企業の求める人材に沿った人間に成りすますために、自らを「リーダーとしてチームを引っ張る人間」だとか「給料や休日よりも仕事のやりがいを求める」などと嘘をつく。もちろん全ての人間がリーダーシップがないだとか仕事のやりがいを求めていない訳ではないことなど百も承知である。

 

性格についてもう一つ述べておきたいことがある。

筆者は現在就活中の20卒であり、ある時とあるSPIの対策参考書を読んでいた際、性格検査のペースで気になる記述があった。その記述とは「悲観的な人間や感情の起伏が激しい人間は企業も嫌う傾向があるので、これらに当てはまるような回答は避けるべきです」といったニュアンスのものであった。

 

私はこの記述に深く疑問を抱いた。なぜなら人間、特に日本人という人種は悲観的な感情が先行して脳の記憶に刻まれやすい人間であり、また人間には感情の起伏というものがその強弱はあれど存在しているからである。

 

人間は常に楽観的に物事を考えることはできないし、悲観的な人間であっても、様々な出来事に不安を抱いてしまった時は、その不安を解消するために様々な対策を打つことができる場合もあるはずである。また感情表現というものは動物本来の姿であり、これがなくなってしまってはただのロボットである。ただし感情を表に出し過ぎてしまい、過失や損害を与えるようなことがあればそれはいけないことである。

 

 

性格というものはとても難しいものである。誰もが同じ性格であることは、はっきり言ってほぼないに等しい。そしてそのような一人ひとりの性格が複雑に入り混じって存在しているのが、今私たちが生きているこの世界であり、これから20卒の筆者が飛び込んでいくであろう社会なのである。

 

 

悲観的な人間を代表して言いたいことだが、この社会は全てがいいように動いているわけではないし、人生はいいことで溢れているわけでもない。むしろ辛いこと、ネガティブな出来事のほうが多い。

たかが学生の身分で人生など語れるほど立派な生涯を送ってきたわけでもないが、人生そう甘くないことなど、この年齢ではあるが承知しているのである。

 

だからこそ就職活動において全てポジティブに、明るくいこうなどというスタンスに辟易してしまい、アドラーのような無責任哲学も好きになれないのである。

 

 

人生における理想と現実の乖離は、あまりにも辛く受け入れがたいものである。

しかしこんなネガティブの塊のような人間である私が、とある言葉を聞いて少し救われた気持ちになったので、最後に紹介しておく。

 

 

「『ネガティヴ』というのは一周して『ポジティヴ』の異名である。なぜならば、最悪の状況を常に想定して、それをいかにして避けるかをきちんと考える。これこそが真の『ポジティヴ』であると主張している。また、世間的に言うところの『楽観主義』とは、「実は現実から目を背けている」という解釈もできるが、どうあがいても「今」よりは良くならなければならない。強くならなければいけない。足りない部分は直視して、次の打開策を考えるものは、『ネガティヴ』を超越した、『超ポジティヴ』である」(若林正恭

 

 

本当に大した思考もできていなければそれを言語化もできない。こんな自分に一番辟易する。物書きは向いていないのだろう。悔しい。最後まで自己評価は低いままだ。だがしかしこの評価は客観的に見ても覆されることはないと思う。