26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2020/03/13

前回更新から1週間以上経過していた。その間にあったイベントといえば家族旅行くらいしかない。いや友人と飲みにも行ったわ。ブログはよ書けって催促されたわ。更新遅くてすまん。

 

その友人には「家族仲いいな」と言われたが別にそんなことはない。

母親とはそこまで仲が良くないし、なぜか父親を残して兄と母親と自分の3人でSLに乗ると言われた時には「さすがに勘弁してくれ」と言おうとした。言わなかったが。

 

 

 

前回の続きから

 

アメリカへの転居が決まった。確か中学2年の6月頃に知らされたと記憶している。有無を言わせず自分の環境が変わったのはこれが2回目だった。

本当に嫌だったし、異国の地で生活を送るのに頭の中は不安しかなかった。なぜ事前に聞かされなかったのかと親を責めた。

今思えば、予めアメリカに行くと知っていたら、絶対に行きたくないと駄々をこねて親を困らせるに違いなかったし、事後報告の方が拘束力があったのだろう。汚い話だが、駐在手当がついて家計にも余裕ができたのかもしれない。駐在手当があったかは知らないが。

 

 

突然の海外生活。滞在する街には日本人学校があったが、補習校という毎週土曜日のみ開校している学校であった。

平日は現地の中学校に通うことになり、アメリカ人や他国からの移民と一緒に授業を受けることになった。

当たり前だが学校中に英語が溢れており、最初は半ば恐怖のような感情を抱いた記憶がある。幸いにも日本人が多く住む学区にあったため、英語の授業は英語を母国語としない生徒のためのクラスになったり、日本人と一緒に授業を受けたり、日本人の通訳が全面的にサポートしてくれたりした。それでも授業についていくには毎日必死だったし、最初は教師が言っていることの8割は理解できなかった。

友達はほぼ日本人だった。我々日本人は、アメリカ人に対してオープンな性格で誰とでも仲良くなるという偏見を抱きがちだが、現実はそうでもない。もちろん、日本の文化に興味があり、日本人と仲良くしてくれた生徒も中にはいたが、大半の生徒は日本人に対して大きな興味も見せず、白人同士で仲良くしているのがほとんどだった。むしろ、白人の心の深層では、有色人種を見下しているのではないかとすら感じることもあった。

人間のコミュニケーション全てに言えることかもしれないが、誰かと仲良くしたいと思った時、自分が受動的な立場を崩せないと、誰とも仲良くなんてなれない。アメリカでの生活でそれを痛感した。元々の内気な性格に加え、英語を話せないとなると、誰とも仲良くなることなんてできなかった。英語に自信がなくても、積極的にアメリカ人に話しかけたり、スポーツなどのクラブ活動に参加していれば、ある程度英語が話せなくてもそれなりに仲良くなることはできたかもしれない、と後悔することが今でもある。

 

現地の中学校に1年通い、高校に進学すると、それまで仲良くしていた日本人の友人が続々と日本に帰国し、ぼっちに拍車がかかった。今までは数学や理科、歴史などの授業で日本人と一緒に受けられていたが、高校からは日本人は自分だけ、という授業も増えてきた。

1年間アメリカに滞在してある程度は英語も理解できるようにはなっていたが、それでも授業の内容は半分も理解できなかったと思う。

仲良くしていた友人も減り、頼りにしていた通訳も高校ではつかず、授業もまともに理解できずただ1人で授業を受ける毎日。周りの日本人は、野球やサッカーなどのスポーツ、マーチングバンドや合唱クラブなどの課外活動に打ち込んで毎日充実していたが、かくいう自分は何のクラブ活動に所属することなく、放課後は家に直帰してゲームやパソコンに明け暮れていた。時々ピンポンクラブという課外活動に参加していたが、一緒に参加していた日本人含めほぼ相手にならず、格の違いを見せつけて無双するイキリ卓球部と化していた。

 

前述した補習校は、毎週行くのが楽しみだった。最初はもちろん友達ができるか不安だったが、皆明るく歓迎してくれたし、授業も簡単だったので、いい成績を収め頭いいキャラを演じて優越感に浸っていた。

 

 アメリカ生活を振り返ってみると、様々な後悔が思い出される。

現地の友人がほとんどできなかったこと。一切クラブ活動に参加しなかったこと。編入試験の勉強をちゃんとしなかったこと。

 

一言で言えば「辛い環境で楽をしていた」2年半だったと思う。

 

父親曰く、貴重なアメリカでの生活を味わってほしかったらしい。帰国子女と聞けば、一見華やかでお金持ちの子供と見られがちだが(偏見)、自分自身はそんなに偉くなったつもりは毛頭ないし、自分の努力不足が原因だが英語も特別ベラベラ話せるようになった訳でもなかった。他の帰国子女と比較して劣等感に苛まれることもしばしばあった。

とはいえ、貴重な機会を与えてくれた親には今も感謝しているし、この2年半がなければ今の自分はどうなっていたか想像がつかない。様々な人種、バックグラウンドを持つ人々と共に学校生活を過ごしたことは、アメリカのリアルな移民社会の現実を垣間見るには十分過ぎたし、大学受験でも、英語ができるというアドバンテージがあったからこそ、他の受験生より英語の勉強に多くの時間を割くことなく他の科目の勉強に集中することができた、という恩恵もあった。

 

高校時代に続く