26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2020/03/05

日付が回ってこの記事を書いている頃には既に3月6日になっているわけだが、便宜上5日の日記ってことにしておく。

 

このブログは日記と銘打って毎回更新しているが、正直今日は、というよりここ数日はほとんど家から出ない生活が続いている。コロナと花粉死んでほしい。

今日はコンビニに昼飯を買いに行くついでにタバコを吸うために外出したくらいで、多分30分くらいしか外出してない。

それでも花粉のせいで鼻水ダラダラ出るしくしゃみは止まらんし目は若干痒いし、正直コロナより花粉の方がしんどい。

 

んなことはどうでもよくて。

 

最近夜になると、以前使っていた携帯のカメラロールの写真を見返したり、昔よく聴いていた曲を流していろいろと過去を思い出したりしている。だいたい思い出すのは、中学と高校の頃の記憶である。

 

中学高校の話をする前に、曖昧な小学生時代の記憶を遡ってみる。

 

小学生時代は割と目立ちたがりだったと思う。

小学生の頃は、グループのようなものは形成されていたものの、特にクラス内におけるカーストというものは明確には形成されておらず、みんな仲良くやっていたような記憶がある。

それでも小学生は運動ができる奴ほど上に立つ風潮のようなものはやんわりとあった気がする。自分は運動が出来たわけではないが、頭はよくそれなりに活発な性格ではあったし、運動ができる奴らとも仲が良かったので、なんとか自分の居場所は保っていた。

小2の頃はちょっとグレた。新人の女教師が担任となり、めちゃくちゃ舐めた態度を取っていた。今でもよく覚えているのが、給食の時間に当番をサボって、悪友たちと昇降口の前で駄弁っていたことである。今思うと何やってんだ俺ってなる。

当時はお笑いブームが日本中に広がっており、自分はそれにまんまと影響されていた。小3からクラスの友人とコンビを組んでお笑いをやりはじめた。これがなかなかウケがよく、これ以降お笑いキャラとしての地位を確立させていった。

小学生の頃は学級委員長も何度か務めていて、クラスの中でも割と中心的なポジションにいるなという自負は持っていた。

なお、この頃から恋愛に関しては奥手で、小2からずっと同じ子を好きだったが、結局告白はできずに終わった。

 

 

小5の2学期に転校を経験した。まさか自分が転校生になるなんて思いもしなかったし、当時はめちゃくちゃ転校が嫌だった。

そして転校してから初めて、自分が人見知りする性格であることを自覚した。

同じ県での転居ではあったが、田舎から都会へと引っ越すことは正直戸惑いも多かったし、クラスが4つもあることがまず驚きだった。前の小学校は2クラスしかなかった。

 

転校生という人種は、いつの時代でも小学生にとって注目の的である。

初日からたくさんの知らない人に話しかけられ、まだ大して仲良くすらなっていないのに、いきなり放課後に遊びに行こうと誘われる。今思えば、放課後に遊びに行くことで仲を深めることが誘ってくれた人物の狙いだったのであろう。

しかし、新しい環境、そして知らない人に囲まれて生活することは、転校して間もない自分にとって、想像以上にストレスだった。

 

とはいえ、時間が解決してくれるのである。しばらくすれば新しい学校にも慣れて、だんだんと以前の自分を出せるようになっていった。お笑いもまたやるようになって、双子でコンビを組んでネタを披露したりなんかもした。学年全体にネタを披露する機会もあり、なかなか度胸もあったな〜と今振り返っても少し誇りに思える。

持ち前のリーダーシップ(笑)も健在で、6年生の頃には運動会の応援団長も務めた。正直これは嫌々だったけど、結果的には自分たちの組が優勝してめちゃくちゃ嬉しかった。

 

 

それなりにうまくいってた小学生時代。中学時代もそれなりだったかもしれない。中の中あるいは中の上くらいの生活。

卓球部に入った。なぜなら一番やってて楽しいから。ボールを打っている時が他のどの入部体験より楽しかった。吹奏楽部と迷っていたため、吹奏楽部に入部した友達からは裏切り者扱いされた。ぴえん

 

卓球部では1年生時に学年責任者になった。部内ではこれまただいたい中の中から中の上くらいの強さだった。中2に上がると部長を任され、部内でも3、4番手くらいの選手になっていた。

部活は楽しかった。1年の最初はボールが打てず辛かったが、3年生が引退してからは台を使って練習できるようになり、そこまで厳しい環境ではなかったので、和気藹々と練習に取り組んでいた。

 

勉強もそれなりにできた。数学は少し苦手だったが、全教科割とそつなくこなせたため、このままの成績を維持すれば、偏差値60以上の県立高校には進学できるだろうと考えていた。

 

 

中2の夏、そんな淡い妄想も水の泡となった。

 

 

アメリカへの転居が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

続く