26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2020/03/31

学生最後の1日だった。

コロなんとかウイルスのせいで4月からの出社が延期され、正直学生が終わってしまう実感があまり沸いていないのが今の心境。

 

インスタではサクッと卒業の報告的な投稿をしたが、ブログの方でも卒業に際してのお気持ち表明をしようかと思い、文をしたためている次第である。

 

 

大学生活を振り返ってみようとしたが、あまりにもまとまりがない文章がダラダラと続いたので省略する。総じて言えば、最初の2年間はそれはそれで自分らしい大学生活だったと思えるし、後半の2年間は、自分の人生の中でもとても大きな財産となった2年間であった。大学1、2年はまさにモラトリアムの典型と言える日々を過ごしていたし、将来像など何も考えず、ただ今生きている時間を適当に使うだけだった。後悔もたくさんあるが、シンプルに楽しかった。大学3年になると、自分が学びたかった分野を研究している教授のゼミに入室することができ、外部の学術団体にも参加することができ、今まで以上に自分の視野や人間関係が広がったと感じている。自分にとって、この1年間は「遅れてやってきた青春」だったと言っても過言ではない。大学4年になると、否が応でも自分の将来について考えざるを得なくなり、自分の理想と、直面している現実との乖離に苦しみ、様々な後悔が頭の中をよぎった。やりたいことも大してなかった自分が、いざ就活になってデザイナーやらフォトグラファーなどの専門分野に関心を持ったことには自分自身非常に滑稽だと思ったし、文系の大学に進む道を選んだ自分を責めさえした。無理やり自分が学んだことを就活と関連づけて、化学系や自動車などのメーカーに就職することを望んだが、あれよあれよと祈られた。自分の浅はかさを企業に見透かされた格好だった。そこからなぜかSEになると決めた自分。確かに営業よりは向いていそうだなと今でも思うが、果たしてこの先エンジニアとして一人前になれるかは甚だ疑問である。正直転職したい。前述したようにデザイン系に興味があるので、Web系のエンジニアになれたら御の字かな〜とは思っている。現状。

 

月並みだが、本当に人に恵まれた4年間だった。これは紛れも無い事実である。出会った人物全てがいい人だったかと問われればそうではない。ただ、この大学生活を経て、高校時代のクソキモ陰キャから普通の大学生にレベルアップし、自分の性格は少なからず良い方向に変わっていったと自覚している。ただし根本の性格はそう簡単に変わるものではなく、今でも陰の自分を捨てされずにいるが、自分を構成する要素に「陽」の成分が追加されたのは実感としてある。これも全て、関わってくれた全ての人間のおかげである。本当に感謝したい。

 

 

大学を離れることはもちろん寂しいが、それ以上に自分を苦しめている事実は、「学生という立場を終えること」なのである。

 

4年前を振り返ると、合格してから入学を迎えるまでの時間はとても楽しかったと記憶している。世間一般における基準では難関と言われる大学に合格することができ、闇の高校生活を過ごしていた自分にとって、まさに光を求めて日々勉強に励んでいたといっても過言ではなかった。そのため、来たる大学生活には不安も多少あれど、たくさんの期待を胸に秘めていたのであった。

そんな4年前とは対照的に、現在の自分の心中は、目先のことから将来のことに至る様々な不安に支配されている。逃れられない現実が、すぐそこまで迫ってきているのである。若かりし頃の自分は、自立した人間になることなんて簡単だと高を括っていたが、いざその立場に身を置いてみると、そのような考えがどれほど浅薄で馬鹿げたものであることを痛感させられる。

 

 これからの人生、自分の行動や発言、全てに「責任」が内包され、「大人」として自立することが求められる。今こうして拙文を吐き出している自分には、社会の荒波に船を出す覚悟はない。まだまだ学生として無責任に暮らしていたいし、責任や世間体なんていうクソッタレなんかとは無縁でいたい。自由の身のままでありたいのだ。

しかし逆説的には、前述の「自由」という概念は、社会人になってからの方がより多くを得られるのもまた事実である。基本的人権の一つに自由権というものがある。本ブログは決して学術的文献の様相を示すつもりはないためWikipediaから引用させていただくが、そこで「自由権」という言葉を調べてみると、自由の概念の説明がなされている。曰く自由とは「自己のあり方を、自己の責任において決しうること」であり、この自己の責任というワードが重要なのである。ここで言いたいのは、「自由を得るためには、それ相応の責任が不可欠である」ということなのだ。当たり前のように感じる人が多いと思うが、自分自身それを受け入れるのには時間がかかった。

今振り返ってみると、大学時代は自由と責任のバランスがちょうどよかったのだと思う。アルバイトを始めて経済的にも自由度が増し、行動範囲が広がったことによって今まで経験できなかったことを多く味わうことができた。成人を迎えたことで、できることの幅が広がった。一方で相変わらず親の管理下に置かれて生活を送っており、そのことが足を引っ張ることもあった。しかしそのおかげで、自分自身に降りかかる責任は非常に軽いものであったし、アルバイトをしていたとはいえ、親によって与えられた経済的自由権も数多くあった。

 

 

これから先の人生は、選択の連続である。頼れるものはあれど、最終的な判断は自分がせねばならないし、それによって課される責任も自分のもとにのしかかってくる。未来は誰も予測することはできない。正解がどこにあるかも分からない。

昔から、後悔のないように日々を過ごしたいと常々思いながら日々を過ごしてきた。しかしその思いを果たせたことはこれまでの22年間の人生で一度もない。おそらく、後悔のないように日々過ごすことなどこれから先不可能なのではないかと思い始めた。

 

だから、自分はこれから「後悔のないように生きる」という目標を持たないことにした。

 

「生きる」だけでいい。

自分の人生、正解だったか不正解だったかの判定は、死を迎える時に初めて下されるものだ。

 

一歩一歩、無理のないように、生きる。

それが案外幸せだったりする、かもしれない。

 

この記事の着地点も人生の歩み方も絶賛迷走中なのである。

 

 

社会人、頑張って生きよう。