26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2020/07/25

かれこれ3ヶ月も日記を書いていなかった。

 

書きたいことはいろいろあった。

ただ、どれも書き出してみたはいいものの、うまく自分の気持ちを言語化できない。一つの読み物としてまとまらない。大した文章も書くこともできないくせに高尚と「読み物」などと神格化してしまっていることが気持ち悪い。

 

自分なりに「ちゃんと」書こうとしすぎるあまり、全く頭が働かなくなる。

 

また、最近は特に「考えることをやめようとしている」ようにしばしば感じる。

日々の仕事、とはいっても新人研修ではあるのだが、ここに打ち込み、常に新しいことを学ぶようになると、頭がその新鮮な情報を取り込もうとしてしまい、なかなか他のことに関心を向けなくなる。日々感じることはあれど、それをわざわざブログに日記としてしたためることは、もともとそれなりにエネルギーを消費する行動である。それができなくなってしまうことは、ある種自明であったようにも思う。いくらうわべの言葉や文章で「働き始めてからもブログは更新したい」と表明したり、頭の片隅で「今日ブログ書きてえなー」とか思っても、なかなかキーボードに手が向かないのであった。

 

久々に日記を書き始めたのは、完全に勢いだ。

何か頭の中で書きたいことが思い浮かんだり、考えがまとまったりしたわけでもない。

この日記も、外出先から帰宅する際の下り電車の中でスマホで書いている。

 

ふと思ったが、これは自分だけに当てはまることかもしれないが、人間というものは行動を起こす際にあれこれ考えたり計画を立てたりするよりも、勢い任せに動き始めた方が一歩目を踏み出しやすいように感じる。

日記を書くことも、ダイエットの為に外にジョギングをしに行くことも、勉強を始めることも、その場のノリと勢いで案外良いスタートが切れたりするものだと思う。

もちろん考えてから行動を起こすことがよくないというわけではない。例えば転職をしたいとなった際、次の職場のあてもないまま現職を辞めるのは相当リスクが高い。何かローンを組んで大きな買い物をする際も、しっかりその金額を長い年月をかけて支払うことができるかはきちんと考えてから購入に踏み切るべきである。

 

以上の話を踏まえて、最近、というより働き始めてから考えていることが一つある。

それは「若いうちはある程度リスクを犯して行動を起こしていくべきである」という、ある意味一般論に近いものだ。考えていること、というよりかは、これから常に意識していかなければならないある種の座右の銘のようなものの方が的確かもしれない。

働き始めてからというもの、日々の時間の流れが急激に速くなっているような感覚に陥っている。1週間の7日間のうち、気づいたらもう木曜か、もう土曜の夜か、と思うことが多くなった。平日に仕事をしていると、これから自分はどこに進んでいきたいのか、自分が目指すべきゴールはどこなのか、何なのか、一切考えられなくなってしまう。そうこうしているうちにあっという間に時間が過ぎ去り、社会人2年目、3年目、4年目、etc...と迎えてしまうかもしれないことに恐怖を感じている。

 

思考が停止してしまっていることに気づいた。このまま社会の歯車になって生きていくのが平凡な人間にはお似合いかもしれない。才能に溢れた人間ではないのに夢を見ることがなんだか馬鹿らしくなってしまう。

 

でも、やっぱり、このまま終わりたくない。やらない後悔はしたくない、という思いは常に心の中に抱き続けている。やりたいこと、なりたい姿になる為に日々リスクを犯して行動することは大切にしなければならない。

 

やらない後悔より、やって後悔したい。