26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

ネットにおける複雑な対立構造について思うこと。

ネットにのめり込んでる人間なので、いわゆる有名人の方が何かやらかすとネット民は擁護派とアンチで荒れるという様相をよく目にします。

 

信者とアンチとか賛成派と反対派とか、世の中は意見が対立することが本当にたくさんあって、最近は何かあるたびにマスコミやらネットやらが騒がしくなって当事者以外があーだこーだ言って火に油注ぐような事態になるケースが多いような気がする。僕は基本的に何に対しても穏健派というか、両者に言い分があってどちらにも良い部分と悪い部分があるからなんとも言えないな〜って思う場合がしばしばあります。てかそもそも良い部分と悪い部分あってこその対立だと思うけど。

 

 

僕は上述した通りほんとにどちらにも肩を貸せないというか、どっちに対しても情が湧く性格だから両者の狭間で宙ぶらりんになっていることが多いのですが、決してそれは対立している状況にうんざりしてしまって考えを放棄した結果どちらの立場にも属さないというわけでもないのです。結局客観的な根拠に基づく正解なんて人間が導き出せるわけがないじゃないですか。人間が引き起こした問題だからさ。僕が人間を超越した存在だったら対立なんてすぐ僕が裁きますよ。でも現実的にそれを為し得る存在は全くいないじゃないですか。

 

結局僕が何を言いたいかというと、

人間が人間の問題を解決しなきゃいけないってなったときは、誰一人として蔑ろにせず、全員の意見をわずかでも反映できるような、ある意味正解も不正解もない曖昧なアプローチをしていくのがマイナスを最小限に抑える方法なのかなって思います。これはめちゃくちゃ理想的だし合理的ではない考えなのは痛いほどわかりますが。小池百合子が言ってたアウフヘーベンに考え方は似ているかな、、ていうか同じか。。そうなると僕ってかなり社会主義的な思想持ってるなあ。。決して資本主義を否定したいつもりはないですが。

 

まあ社会問題とか政策に関して意見を持って自分の中で腑に落ちる論理を展開することはとても有意義ですし、世の中がよりよいものになっていく際にはとてもいいサイクル?というかムーヴなのかなって思います。がしかしですよ、池江選手と桜田大臣の件なんかも、大臣が発言を撤回して謝罪しました。で終わればいいのに野党が大臣を辞めるべきだとか言うのは違うんじゃないですか?って思うんですよ。あくまで池江選手と桜田大臣の2者による問題からそこまで議論が展開する意味がよくわからないです。池江選手が仮に大臣の発言で傷ついて大臣やめろ!って発言したなら話は別ですけど、本人がそう考えてるとは断定できない以上外野がとやかく騒ぐのはおかしいですって。あとはいわゆるYouTuberとかの騒動もアンチはいちいち細かいことに目を光らせて総叩きにして、匿名をいいことに心無い言葉だってぶつけたりもするじゃないですか。それに擁護派もいちいち反発してさらに事を大きくする。それは違うでしょ。外野は静観してもっと客観的に物事を考えるべきではないかと思うんですよ。あくまでそれは当事者が解決すべき問題なので。

 

 

ということで、最後の方は深夜の勢いでバババッと書いてしまったので纏まりないかもしれないですけど、結論としては

「正解のない問題には白黒つけずに曖昧なアプローチも時には大事なのではないかな」

ってのが僕という高次的存在ではないいち人間の考えってことです。

 

思ったより長くなりました。失礼します。