26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2020/03/03

お久しぶりです。3月にもなって2020年初投稿になります。本年も引き続き、気まぐれではありますが更新していこうと思いますので、何卒。

 

 

さて、当ブログでは、皆さんお気づきかどうかわかりませんが、文末の「です、ます」や「だ、ある」調を統一していないな〜と、過去の記事たちを読み返していて気づきました。特にこれといった狙いがあって統一していない訳ではないんですが、個人の自己満足によって更新されている日記ですし、あくまでその時々の気分であったり、自分が読者の皆さんに伝えたいニュアンスに合わせて使い分けていこうかなと思っています。例えば、日記で「である」や「だ」で記事を統一させていれば、少し堅い印象になって、なんとなくカッコつけた感じの文章になる、みたいな。一方今回のように「ですます調」で統一すれば、なんか親しみやすくて柔らかい印象に、みたいな。ほんとにそう感じるかは個人差があるとは思いますが。

 

なんで今回こんなことを書き出したのかというと、自分って「統一感がない」人間なのかな〜と最近ふと思ったからなんです。

例えば、自分のinstagramなんかはその好例。自分は写真を撮ることが好きで、撮った写真は大抵インスタに載せるし、友人用のアカウントに加えて写真を載せるためのアカウントも管理しているんです。その写真専用アカウントが、まさに統一感がないアカウントなんですね。ジャンルはスナップだったり風景だったり、それなりに統一できているんですが、問題なのは「写真の色味、色合いがバラバラである」ということ。フィルムで撮った写真もあればデジタルで撮ったものもあり、バチバチに映え〜なハイキー写真もあれば、陰キャ特有のローキー写真もあって。そのせいか、自分のプロフィールを見ていると、なんかゴチャゴチャした印象を抱いて、個別の写真はせっかく綺麗に撮れているのに、全体的にどこか汚いというか、あまり綺麗な印象は持てなかったんです。

これってすごく勿体無いことなんじゃないかな〜って思うんですよ。特にインスタっていうSNSにおいては、プロフィールの見た目ってそのアカウントをフォローするかどうかの一つの重要な指針になると思いますし。もちろん投稿頻度とか、写真ひとつひとつのよさも大事ですが、プロフィールが整然としていれば自ずと良い印象につながってフォロワーが増える、なんてこともあり得るんじゃね?と思ったわけです。色んなものを取り扱っている雑貨店やホームセンターなんかでも、その商品のジャンルごとにコーナーを分けて一つの店舗を作り上げていることと同じです。インスタのフォロワーを増やす方法は他にも色々あると思いますが、一つのプランとして、こういう策もしていくべきなのかなーと最近思い始めました。

 

他にも自分の中で統一感がないものとして、洋服の系統や好きな音楽のジャンルなどなど、本当に探せばキリがないくらい出てくると思います。

総じて言いたいことは、自分がかなり気分屋であるということ。

よく人のことを「陽キャ」「陰キャ」、「体育会系」「文化系」、「ご飯派」「パン派」、「インドア」「アウトドア」等々、いろいろ区別する言葉があると思うんですが、正直自分はこういうグループ分けって何の意味があって、そして自分はこうしたグループに属しているのか?と感じることがしばしばあります。まあ陰キャなのは陰キャですけど、別に陰キャっぽい人とだけつるんでるわけではないし、運動だってするし、ご飯もパンも好きだし、家から一歩も出たくない時もあれば外に出て遊ぶこともあるし。

本当自分でもわかんないんですけど、気持ちがコロコロ変わりやすいんです。言ってしまえば、ノリと勢いで生きてるみたいな。自分で自分がわからないなんてこともよくあるし、正直他人から見れば「こいつ何考えてんだろ」って思われてんだろうな〜って感じることもあります。

 

なんか話の着地点がよくわからなくなってきてパニック気味なのでこのへんで考えるのやめときます。変な話してすいません前立腺

ではまた

日記 2019/12/21

気がついたらブログを1ヶ月放置してた。気がついたら22歳を迎えていたし、迎えたからといって何かが変わったわけでもない。

 

ブログを書く気力がなかった訳ではない。ただ単純に書いてる暇がなかった。そう、卒論である。

卒論のテーマ設定思いっきりミスったなーと思ったのが先月の半ばから下旬ごろ。今更変えるわけにはいかないと思いそのまま変えずに書き進めていたがいかんせん終わりが見えない。テーマが広すぎるのだ。本来ならそれ1つで論文が書けてしまうテーマをなぜか2つとも調べて1つの論文にまとめて比較と今後の展望を占うという論文。自分で言うのもなんだが、書き上げることができれば結構いい論文に仕上がりそうなのである。しかし自分の脳が追いつかない。迫り来るタイムリミットと教授からの圧力に押しつぶされそうになる。既に精神的限界は超えている思いだが、書き進める以外にこの苦痛から解放されることはない。ただただ心と脳内を蝕まれる日々。あれだけ愛する努力をしていた女とも連絡が途絶えた。こっちから連絡を切ったというのが正確なのかもしれない。とにかく他人に構っている余裕が俺にはなかったのだ。

 

何もかも投げ出して遠くへ行って消えてしまいたい。

 

周りの人間が卒論を書き進めつつ幸福を手にしているのを横目に、たかが卒論ごときで精神を病む自分自身に嫌気が差す。もともと1つのことに集中すると他を疎かにしがちな人間であることは何となく知っていたが、自分でもなぜここまで卒論執筆に縛りつけられているのか全くわからない。とにかく何もする気力が起きない。明日は朝から大学に行って卒論執筆するぞと意気込んで眠りにつこうとした昨晩は、急に他人への憎悪と自己嫌悪感に苛まれ眠れなくなった。気がつけばAM5:00を示した目覚まし時計を見て絶望感に襲われた。漸く眠りについた頃には外は少し明るさを帯びていたし、目が覚めた時には既に土曜日の午前中が終わっていた。休日の午前中を失ったという罪は非常に重くのしかかる。何もする気力が湧かなくなる。重い腰を上げて大学に来てみたものの時刻は既に16:00。煙草に手を伸ばしてしまえばそれは最後。一切の活力が身体中から煙とともに抜けていく。

 

もういいや、と1人心の中で呟く。気がつけばブログを書いていた。これはこれでアリか?いやナシだろ

 

 

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冬の海を見ながら1人黄昏れて、この世で最も格好の悪い人間になりたい

日記 2019/11/26

人に読ませる文章を書くことって難しい。

俺が目指してる文章っていうのは、「誰にでも伝わる平易で理路整然とした読みやすい文」というよりは、「段落切りとかされてないしやたらと表現が抽象的だったり回りくどかったりして一見読みにくいように見えるけど、一度読んでみると面白くてついつい引き込まれてしまう文章」みたいな感じのやつ。伝わるかこれ。

あと文章ではないけど、小説とか歌詞とかを読んでて、まるでその場にいるのではないか、くらいの気持ちに浸れるようなものも好き。結構写真を撮るのが好きなので「この風景はこの歌詞に合いそうだな」とか、「○○の描き出してた情景はこんな感じなんかな」とか想像するのがすごい楽しい。

小説だったり歌詞、あるいは写真っていうコンテンツは「日常をドラマチックなものに変えるもの」といっても過言ではないくらいの力を持っているものなんじゃないかな、と割と本気で思っている。残念ながら自分には文才は全くといっていいほどないし、作詞なんかも到底書ける気はしないので、こうしてトイレの便座に座りながら日々感じることを徒然としたためるに留まっている。

 

 

昨日は11月下旬とは思えないほどの暖かさだったが、今日は一転して冷え込む1日であった。コートとシャツの間に着込めるカーディガンが欲しくなってきた。金はないので今度ユニクロかGU辺りで探してみることにする。

今日は午後から夜まで1日雑貨屋のバイトで潰れるため、午前中に卒論なりレポートなり進めようと思い、比較的早い時間に起きたが、朝食を食べたあとに睡魔に襲われ、気づいたら11時過ぎまで二度寝してしまった。時間を無駄にしてしまったことへの自己嫌悪が止まらない中バイトへ。

先日レジ研修を受けて今日からいよいよレジ業務が本格的に始まった。俺は大学4年間レジを打つバイトばっかりやってきたため、比較的レジの操作は落ち着いてできる自負があった。しかしいざレジを打ってみると、現在掛け持ちしているバイト先のレジや過去に操作していたそれとは結構システムが異なり、なかなか厄介である。加えてチラシやクーポン、粗品(霜降り明星ではない)など、配布しなければいけないものが多いため、結構もたつくことが多い。

幸いなことにレジにはもう1人先輩が常についているため、わからないことはすぐに対応してくれるのでそこは非常に助かっている。バイトは2月末で辞める予定なので、最後まで先輩の手を借りることになるかと思われる。

 

そんなこんなで無事大きなミスもなくバイトを切り抜け池袋駅へ向かうと、急行ホームで偶然地元の友人に遭遇し、そのまま地元まで同行。コンビニの前でビールを飲むという田舎のヤンキーと遜色のないムーヴをかました。後に既に家で飲酒をキメていたもう1人の友人も合流し、彼らのうち1人はスト缶ロングを、もう1人はうんこ座りをしながら弁当を喰らうという底辺極まりない人間にジョブチェンジしていた。

底辺底辺言っておいてなんだが、案外こういう飲みだったり集まりというものは悪くはないし、むしろ好きだとすら言える。冬の寒さに凍えながら酒をすすり、もう片方の手にはタバコを持って馬鹿話をする。これに勝る幸せはあるだろうか。いや、多分ある。だけどなんかこう、こういう時間こそモラトリアムの特権だよなぁとか思ったりして、特別感というか、残り少ない大学生活を最大限に生かしているような気もしないでもないので、こんな時間も大好きだし、冬の寒さだって心地よく感じてしまうのである。

 

とはいえ余りにもこの寒さを乗り切るには薄着すぎたのでしばらくしてから帰宅して風呂に入って寝ることにした。残った2人が何故かその後駅前の居酒屋に転がりこんでいたのはまた別のお話。

 

以上。明日こそ卒論少しは進めないと。

日記 2019/11/16

沢尻エリカ逮捕記念更新

ヤクブーツはやめろとはよく言ったもんですが、かくいう僕も喫煙者なので実質薬物中毒者みたいなものですね。違いますかね。

実際のところ薬物ってそんなにアカンものなんすかね。酒とかタバコとか巷に蔓延る嗜好品だって嗜み方によっては自身に悪影響を及ぼすし、酷いと他人にまで危害を与えるし。副流煙とかダルい酔っ払いとか。挙句の果てには飲酒運転で人殺せるんですよ。

その点薬物なんてちょっとキチガイになって他人から煙たがられるかもしれんけど基本的には薬物使ってても普通に芸能活動とかできてる(ように表向きは見える)し、別にそこまで目くじら立てて取り締まらなくてもいいんじゃね?って思うんですけど。どうなんでしょう。

 

 

まあ薬物やったことないんで知らんけど。

 

 

 

そろそろ日記的なことを書きたい。まあネタにできるほど大しておもろい日常じゃないんですけど。

 

卒論で使う本を借りるために大学図書館まで行って本を借りた後に安定の喫煙。マルメンうまい。

ふとマックが食べたくなって最寄りのマックへ。スパイシーチキンakaスパチキのセットを注文。サイドメニューは安定のコーラポテト。デブ。

俺はスパイシーチキン系の食べ物がかなり好き。コンビニに売ってるチキンでもわざわざプレーンのチキンじゃなくてスパイシーを頼むくらいには好き。アメリカにいた時はWendy'sのスパイシーチキンをよく食べてた。

もう帰国から6年も経ったので当然Wendy'sのスパイシーチキンの味は忘れたが、今こうして日本でスパイシーチキンバーガーを食べられることはなかなか幸福なことなのではないかと感じつつ完食。美味でした。ワンコイン強い。

食後の喫煙はもはやルーティン化している。最近はそのルーティンにガムを食べることが加わった。最低限のエチケットである。歯を磨け。

 

 

沢尻エリカとキメセクしてた男を羨ましいと思いながら帰宅。キメセクって気持ちええんかな。流石に薬物やったら本当に社会的に死ぬので、見る麻薬ことFranz K Endoの動画で我慢しとこ。

 

おわり

日記 2019/11/13

またまた更新が途絶えてました、僕は生きてます。

めっきり寒くなってきて今日はコートを着て1日を過ごしていました。秋はすごく好きです。特にちょうど秋から冬に移り変わろうとしているこのくらいの時期が一番好き。

 

最近バイトを始めました。某黄色い雑貨屋さんなんですが、とにかく新しい環境は精神的に結構キツい。仕事の内容や人間関係だったり…まだ始めたてのぺーぺーなので仕事の速度とか精度はそこまで求められてないとは思うんですけど、とりあえず時間も拘束されるし覚えることが多かったりして結構しんどいなーと思うのが正直なところ。

それに加えて卒論と内定者課題を並行して進めていかないといかないのでそこに新しいバイトが加わってしまったので、、個人的にはなかなか大変な状況に立たされているのが現状です。

とはいえこれら3つは全ておざなりにはできないんですよね。無論卒論を進めなければ卒業すらできませんし、内定者課題も今後の社会人生活には不可欠なものですし、卒業旅行や諸々の資金を稼ぐのにバイトもしなければいけないですし…とはいえ自分の心情としては、やはり残りわずかの大学生活は、学生としてやれることを全力でやり切りたいという思いがあるので、今この時期に内定者課題を大量にこなすのはなんか違うんじゃないかなぁと思ってしまいますし、できればバイトも減らして卒論に全力を注ぎたいという気持ちもあります。

しかし自分のこうした考えがとても甘いことも重々承知しているのもまた事実で、きっと自分以外にもこうした境遇にいる人たちはたくさんいるだろうし、自分の知らないところで色々なことを要領よく進めてうまく人生を送ってるんだろうなと思います。なんなら自分よりもっと辛い状況に追い込まれている人たちだっているかもしれないと思います。それにこれから社会に飛び込むにあたって、色々な物事に板挟みになってもっともっと精神的に厳しい時期が訪れるかもしれないと考えると、今の自分がこんなもので音を上げていてはこの先の人生やっていけないのでは…みたいな危機感もあるので、こんなところで潰れていてはダメだな、と思います。

 

もともと自分は完璧主義的な考えに囚われていることが多く、これまでの人生を振り返ってもこの思考に脳内を支配されてうまくいかなかったこともしばしばありました。

「あれもやらなければ、これもやらなければ」と次々にタスクや目標を定めてはうまくいかず、その度にうまくいかない自分を責めて自己肯定感を失ってきました。

本当に完璧主義だけはずっと直したいと思っているんですけど、今になっても自分の能力を過信して色々やることを増やしたりした結果また自己肯定感を下げてしまいそうな感じになっています。そのうちマリアナ海溝まで自己肯定感が沈んでしまうのでは?

 

とにかく要領よく生きられるようになりたいですし、自己肯定感に満ち溢れた人生を送りたいなと切実に思います。

 

というわけで愚痴でした。早く死にたい

日記 2019/09/06

おととい日記を更新したらアクセスが20以上もされていて驚いた。ツイッターの共有もある程度は効果があるのだと思った。ブログタイトルの通りな駄文を読んでくれて感謝です。

 

 

 

アクセス数が伸びたことに嬉々としながらまた日記を綴る。どちらかといえばエッセイなのかもしれないが。両者の違いはよくわからないので知っている方がいれば是非ご教授ください。

 

 

 

 


基本的に夜型体質の人間なので、前日寝る時間が深夜2時を過ぎることはザラである。0時台に入眠することができれば次の日は自己肯定感で満たされて自分がまるで神にでもなったかのような気分になる。

 

 

 

で、昨日は朝5時まで起きていた。

神に背き異教徒として迫害されていた中世のユダヤ教徒並みに人権のない男なのだった。

 


原因は間違いなく寝ながらスマホをいじってしまったことである。

スマホを見て脳内は情報による支配を余儀なくされ、間違いなく心身ともに休まるような環境を創出することを不可能にした。

 


寝る前こそ、日々の情報の海から顔を出して、脳を休ませる孤島に上陸すべきなのであるが、昨日の僕にはそれができなかった。海に飲まれてそのまま海底まで沈んでいってしまったのである。

 

 

 

 


そんなわけで自己肯定感0のまま起床し、朝食を済ませて家を出る。

 


相変わらず僕の足は大学に向かっていた。

 


卒論中間発表まであと10日程度しか時間は残されていないが、依然として卒論の構想はうまくまとまっていない。

そもそもの話として、自分は卒論を執筆する術を身につけていない。巷には卒論の書き方を教えてくれる本やサイトが溢れかえっているが、現状の自分は全くそういうものを持たずに卒論を書こうとしている。ドラクエでいえば攻略本やサイトを見ずに自力で町人に話を聞いたりしながら攻略していく縛りプレイをしているようなものだと思う。まあ今の自分の周りに卒論の書き方を教えてくれる町人的な人間は存在しないが。

 


卒論のタイトルも決まらなければ章立ても曖昧であり、章立てできていないということは論文構成もまだまだ完成していないのである。

何とかテーマを固めようと先行研究や参考文献に手をつけるが、いかんせん情報量が多く、なにより睡眠不足なので活字が全く頭に入ってこない。

 


とはいえ時間は有限である。言い訳などできないのである。

何とかして文献を読み漁る。依然攻略にはまだまだ時間はかかりそうだが、それなりに情報は手に入ったと思う。

 

 

 

 


それにしても今日は気温が上がった。

しかし真夏のうだるような暑さとは異なり、耳を劈くようなセミの音は鳴りを潜め、代わりに秋の虫の鳴き声が聞こえてきてとても心地がよかった。こんな日にはフジファブリックの『赤黄色の金木犀』を聞きたくなる。

 


金木犀の香りが待ち遠しい。

 

日記 2019/09/04

久しぶりに日記を書く。ちょうど2ヶ月ぶりである。

 


歩いているときにふと「最近日記書いてねえな」と感じ、スマホのメモに今日感じたことをまとめようとしている。

 


日記を書こうとすると何故か凝ったものを書きたくなる気持ちに襲われて自分の気持ちをきちんと整理して書かねばならないという強迫観念に脳が支配されてしまい、文章を書くために大量のエネルギーを消費することにつながってしまって文章が書けなくなってしまうので、今回はカジュアルに特に何も整理しないまま見切り発車で日記を書くつもりである。

 


今日は一段と涼しかった。

涼しかったのだが、本やらパソコンなどを持ち歩く際にリュックサックを背負っていたせいで背中には汗染みができて、個人的には過ごしにくい気候であった。さすがに真夏の猛暑日に比べればかなり快適な方ではあったが。

 


夏休みにもかかわらず大学へ行った。

図書館で卒論の構想を練るためだ。

 


だったのだが、案の定とでもいうべきか、卒論は思うように進まず、気づけばスマホの海に溺れている自分がいた。

 


参考文献がなかなか見つからなかったり、見つけたと思って読んでみてもどうも自分が欲しい内容ではなかったり、そもそも読む気すら失せて全く活字が頭に入ってこなかったり。こういうことを毎度繰り返しているので自分の脳に欠陥でもあるのではないかとすら思う。

 


しかし、先月半ばに購入した、卒論とは全く関係のないオードリー若林のエッセイ本はスラスラと読めてしまい、200ページ強あったものを10日足らずで読み切ってしまうのだから、学術書というものはやはり読みにくいものなのかもしれないと安堵した自分もいる。

 


タバコを4本吸った。今はハイライトメンソールという割とキツめのタバコを吸っている。

タバコを吸うことによって、自分の身体が煙とニコチンとタールによって犯されてどんどん蝕まれるような感覚に陥る。しかしこれはあくまで気持ちの問題であり、肉体的にはさほど悪いことをしている実感はない。もちろん健康には悪いのだが。

昨今では「タバコ=悪」という思想が日本のみならず世界中でも拡大しており、何月何日か忘れたが世界禁煙デーなどという記念日が制定されるほどである。

 


タバコは確かに身体に悪いし、周りにも迷惑をかけかねないものである。

しかし本来タバコというものは嗜好品である。巷で流行りに流行っているタピオカドリンクと本質的にはさほど違いはないのである(知らんが)

周りに迷惑をかけない範囲で、かつこちらも自己責任でタバコを吸っているのだから、過剰に毛嫌いする今の風潮には少し疑問が残る。

なによりも私が一番憂いているのは、屋内の喫煙所が急減しているという事実である。

通っている大学の図書館にも喫煙所スペースがあったような記憶があるし、一部の棟の内部には屋内喫煙所があり、作業に煮詰まった喫煙者が一息つける貴重な空間であった。

それが今では全て廃止されてしまい、残ったのは屋外にある屋根なしの喫煙所だけである。非常に残念極まりない。

 


何はともあれ、これも全てタバコをやめれば解決する問題である。しかし私がタバコをやめる時が来るのはしばらく先のことになろう。なぜなら、私はタバコそのものより、タバコを吸う時間が好きなのであり、タバコがなければその時間は作ることができないからである。

 


日記と称して長々とタバコ論を語ってしまった。

 


とにかく今日も一日なぜ生きてるのかよくわからなかったので、図書館の帰り際に『人生に意味はあるか』という新書を借りた。また卒論に関係のない本を読むことになりそうだ。