26年も生きていることを誇りに思え

駄文を書いては捨て書いては捨て

日記 2019/09/04

久しぶりに日記を書く。ちょうど2ヶ月ぶりである。

 


歩いているときにふと「最近日記書いてねえな」と感じ、スマホのメモに今日感じたことをまとめようとしている。

 


日記を書こうとすると何故か凝ったものを書きたくなる気持ちに襲われて自分の気持ちをきちんと整理して書かねばならないという強迫観念に脳が支配されてしまい、文章を書くために大量のエネルギーを消費することにつながってしまって文章が書けなくなってしまうので、今回はカジュアルに特に何も整理しないまま見切り発車で日記を書くつもりである。

 


今日は一段と涼しかった。

涼しかったのだが、本やらパソコンなどを持ち歩く際にリュックサックを背負っていたせいで背中には汗染みができて、個人的には過ごしにくい気候であった。さすがに真夏の猛暑日に比べればかなり快適な方ではあったが。

 


夏休みにもかかわらず大学へ行った。

図書館で卒論の構想を練るためだ。

 


だったのだが、案の定とでもいうべきか、卒論は思うように進まず、気づけばスマホの海に溺れている自分がいた。

 


参考文献がなかなか見つからなかったり、見つけたと思って読んでみてもどうも自分が欲しい内容ではなかったり、そもそも読む気すら失せて全く活字が頭に入ってこなかったり。こういうことを毎度繰り返しているので自分の脳に欠陥でもあるのではないかとすら思う。

 


しかし、先月半ばに購入した、卒論とは全く関係のないオードリー若林のエッセイ本はスラスラと読めてしまい、200ページ強あったものを10日足らずで読み切ってしまうのだから、学術書というものはやはり読みにくいものなのかもしれないと安堵した自分もいる。

 


タバコを4本吸った。今はハイライトメンソールという割とキツめのタバコを吸っている。

タバコを吸うことによって、自分の身体が煙とニコチンとタールによって犯されてどんどん蝕まれるような感覚に陥る。しかしこれはあくまで気持ちの問題であり、肉体的にはさほど悪いことをしている実感はない。もちろん健康には悪いのだが。

昨今では「タバコ=悪」という思想が日本のみならず世界中でも拡大しており、何月何日か忘れたが世界禁煙デーなどという記念日が制定されるほどである。

 


タバコは確かに身体に悪いし、周りにも迷惑をかけかねないものである。

しかし本来タバコというものは嗜好品である。巷で流行りに流行っているタピオカドリンクと本質的にはさほど違いはないのである(知らんが)

周りに迷惑をかけない範囲で、かつこちらも自己責任でタバコを吸っているのだから、過剰に毛嫌いする今の風潮には少し疑問が残る。

なによりも私が一番憂いているのは、屋内の喫煙所が急減しているという事実である。

通っている大学の図書館にも喫煙所スペースがあったような記憶があるし、一部の棟の内部には屋内喫煙所があり、作業に煮詰まった喫煙者が一息つける貴重な空間であった。

それが今では全て廃止されてしまい、残ったのは屋外にある屋根なしの喫煙所だけである。非常に残念極まりない。

 


何はともあれ、これも全てタバコをやめれば解決する問題である。しかし私がタバコをやめる時が来るのはしばらく先のことになろう。なぜなら、私はタバコそのものより、タバコを吸う時間が好きなのであり、タバコがなければその時間は作ることができないからである。

 


日記と称して長々とタバコ論を語ってしまった。

 


とにかく今日も一日なぜ生きてるのかよくわからなかったので、図書館の帰り際に『人生に意味はあるか』という新書を借りた。また卒論に関係のない本を読むことになりそうだ。